目次
小学5年生の時、首にポッコリとした出っ張りがあり、母が気付きました。
自覚症状はなかったと思います。
活発な小学生で、体調不良も感じていなかったと思います。
近所の内科で受診。そこから近所の総合病院を紹介され受診。
エコーやレントゲン、首の腫れに直接、針を刺す検査をしました。
手術は中学1年の夏休みと、大学4年の夏休みの2回受けました。
1度目の手術までは、ほとんど治療らしいものはありませんでした。
自覚症状もありませんでしたから、そのまま様子見が続いていたと記憶しています。
中学に行っても首の腫れは引かず、少し腫れも大きくなってきたので、
中学1年の夏休みに手術することになりました。
手術はそのまま近所の総合病院で受けました。
手術後、体調不良が続き、手術の傷跡も酷く、とても気になっていました。
1度目の手術後はとにかく「体がしんどかった」 この一言です。
それまで元気いっぱいでしたから、朝起きるのが辛い、日中は体がだるい、
集中力が続かない、それだけはよく覚えています。
水中にいるように、人の声がぼんやり聞こえているような感じで、
自分が自分でいる実感があまりなかったような....
ですから、中学時代のことを今でもあまり思い出せません。
今思うと、それほど体調が悪かったんでしょう。
中学2年の春休み頃から、甲状腺専門の隈病院に転院。
甲状腺ホルモンの数値を定期的に見ながら、チラーヂンを服用していました。
高校の頃には少し集中できるようになっていきました。
しかし、 少しずつチラーヂンの量が増えていき、傷跡も気なることから、
もう一度手術、ということになりました。
それが大学4年の夏休みのこと。
2度目の手術は怖かったです。
さらに体調が悪くなるんじゃないかという不安がありました。
隈病院の当時の院長先生に
「傷がきれいになりますよ。大丈夫!」
と励ましてもらって手術を決心できました。
2度目の術後、しばらく体調が戻りませんでしたが、
傷が癒える頃には、それまでの9年間が嘘のように、
元気いっぱいの自分に戻れました。
2度目の手術でわかったこですが、
「副甲状腺が癒着して、全く機能していなかったので、
血圧のコントロールがうまく出来ていなかった」と説明を受けました。
そのとき、初めて、甲状腺がこんなにも大切な臓器だったんだと実感しました。
甲状腺、副甲状腺を全摘出して、チラーヂンで甲状腺ホルモンを補って、
私は、私らしい毎日を取り戻すことができました。
しかし、その道のりは.....長かった.....
現在は甲状腺の病気だったことを全く忘れています。
チラーヂンは人生の友、だと思って、忘れないようにしていますが、
体調が良い時はうっかり忘れてしまうことがあるくらいです(いけませんね。笑)
2013年8月から仕事でベトナムに渡り、2年間元気いっぱい、
仕事もプライベートも満喫できました。今は不安はありません。
そこで...
今現在、甲状腺の症状で苦しんでいる方に伝えたいです(昔の私にも...)
いつまでも出口がないように思う時もあると思いますが、
適切な治療で、出口は見つかるはずです。
諦めないで、頑張っている自分を褒めて、励ましてあげてくださいね。
病名は「甲状腺膿腫」
甲状腺に膿(水)が溜まる袋が無数に出来ていました。
遺伝の可能性があるそうです。
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。